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ダークサイド・オブ・ニュー・ウェーブ

Darkside of NEW-WAVE

1976年、ロンドンでパンクが発生した。セックス・ピストルズ、ダムド、クラッシュの御三家の名前を挙げるまでもなく、パンクは一大ムーヴメントとして70年代後半のロック・シーンを大きく変えてしまった事は既に御承知のことと思う。その後パンクはハードコア・パンクやポスト・パンクといった形へ変化してゆき、事実上「時代を捉える」意味でのパンクは消滅していく。そんな中、ポスト・パンク(後のニューウェーブ・シーンの前身)をシーンの中で様々なバンドが模索してゆき、ゴシック志向の強いジョイ・ディビジョンやパンクの色を残しながらも当時としては異色のサックスを取り入れたシアター・オブ・ヘイト、そして初期ニューウェーブの代表格バウハウス等がポスト・パンクシーンに登場し始める。

そして80年代に入り、ニューウェーブ・シーンの中にゴシックの色を特徴づけたとも言うべきポジティヴ・パンクなるムーヴメントがイギリスの音楽シーンに登場する。シーンにその顕著な新しい動きが現れたのは、81年から82年にかけてである。それらの特徴を一口で形容することは非常に難しいが、頽廃的なルックスにパンクともサイケデリックとも異なるサウンドをまとったこのムーヴメントは、誰の目にも耳にも新しいものとして映った。後にポジティヴ・パンクの代表格として扱われるセックス・ギャング・チルドレンやダンス・ソサエティー、サザン・デス・カルトといったバンドがインディーズ・チャートの上位にシングルを送り始めたのもこの頃であった。彼らを中心に、過去にあったどのジャンルにも属さない若いグループが次々とデビューを飾り、ムーヴメントが活性化しつつあった83年2月、イギリスの音楽紙の最大手の一つであるNMEがそうした動きを「ポジティヴ・パンク」と名づけた特集を組み、それを受けてヴィジュアル音楽紙FACEも同様の企画を掲載し、ここに「ポジティヴ・パンク」なる呼称が作りあげられたのである。

しかし、それが本来個性的であった彼らに枠を設けてしまう結果となり、彼らに予想外のプレッシャーを与え、多くの発展途上のバンドを解散に追い込んでしまう結果を招いてしまうこととなる。これによってポジティヴ・パンクは終結し、その内部から「ポジティヴ・パンク」を否定するという奇妙な動きが生み出されてしまう。

はっきり言うと、ポジティヴ・パンクというムーヴメント自体、メディアによって作り上げられた架空のものであると、後に否定されてしまうだけあり、音楽的にポジティヴ・パンクと呼ばれたバンド達に共通するものはあまりない。あえて形容するならば、顔を白く塗ったり、奇妙なメイクによる視覚的に頽廃的なイメージを作りあげ、ムーヴメントの名前とは逆にネガティヴな歌詞を好んでいたというのがその大きな特徴であろうか。しかし、ゴシックと呼ばれるジャンルの根底や視覚的イメージを作り上げたという意味ではこのポジティヴ・パンク・ムーヴメントは大きな意義を持っていたと言えよう。

その後、ポジティヴ・パンク・ムーヴメントとして括られていたバンド達はその個々の音楽性を発展させ、あるいは解散し、月日は流れていった。そしてギタリスト、ウェイン・ハッセイの脱退を機に85年に解散していたシスターズ・オブ・マーシーの87年の復活と共に、ダーク・サイケデリアとも呼ばれるゴシック・ロックの新たなるムーヴメントがシーンに登場する。この動きはシスターズ・ファミリーを中心としたものではあったが、シスターズ・ファンには熱狂を持って迎えられ、これがゴシックの新たなる潮流としてシーンを賑わせたのである。

ゴスの帝王、シスターズ・オブ・マーシーの98年の来日は残念ながらまたも(過去に一度85年にも来日が計画されていたがそれも中止)中止となったが、そのゴシックの流れはロンドン・アフター・ミッドナイトやノスフェラトゥ等の90年代のゴシック・バンド達へと確実に受け継がれ、この暗黒の音楽はマイナーながらも、しっかりとした固定ジャンルを作り上げているのである。