Conents Menu
Search
Archives

M・シェリー

Mary Shelley(1797-1851)

急進的革命思想家ウィリアム・ゴドウィンと女権論者メアリ・ウルストンクラフトの娘であり、ロマン派詩人パーシー・ビッシュ・シェリーの妻、そして「フランケンシュタイン」の作者こそがこのメアリ・シェリーその人である。「フランケンシュタイン」執筆のきっかけとなったバイロンやポリドリ、シェリーらと過ごした運命の一夜は伝説と化し、映画化もされたが、彼らのうち怪奇小説を完成させたのはメアリ・シェリーとポリドリの「吸血鬼」だけである。

メアリ・シェリーは「フランケンシュタイン」以外にも数作品を執筆しているが、彼女の名前を不朽のものとしているのはやはり「フランケンシュタイン」であろう。ウォルポールの「オトラント城」に始まるゴシック小説の系譜に属していながらも、その深遠なテーマはSF小説の原典としても存在し、アシモフのロボット工学の三原則を経てディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」まで繋がる一大系譜を提示している。

しかし、「フランケンシュタイン」を初めて読む人はその意外な展開に少なからず驚かされることであろう。あまりに有名なユニヴァーサルの映画が原作を超えてイメージの普及を行ったため、怪物がフランケンシュタインの名であると勘違いしている人は多いし、フランケンシュタインその人も男爵や博士ではなくただの学生に過ぎないという映画と原作の設定の違いは映画を先に知ってしまっている人にかなりの戸惑いを感じさせるものである。そして何よりも、小説における怪物の知性は非常に高い。「失楽園」や「若きウェルテルの悩み」に涙し、自らの創造主であるフランケンシュタインに対して雄弁に詰め寄る怪物は、我々がイメージするユニヴァーサルの怪物とはあまりに掛け離れた、哀れむべき存在である。恐らく小説を読む人はフランケンシュタインを身勝手と感じ、その結果生み出された不幸な怪物に対してより親近感を覚えることと思う。

「フランケンシュタイン」は決してうまく書かれた怪奇小説とは言い難い。物語の語り手であるウォルトン、フランケンシュタイン、怪物のそれぞれの人格設定は違いが分からぬほど似通ったものであるし、肝心の怪物創造の記述も殆どなく、物語の構成は当時のゴシック小説によく見られる現実と非現実の入れ子という形式である。しかし、人間による人間の創造、そしてそこに生じる決して果たすことのできない義務と権利という深遠なるテーマを正面から描いたという、その発想と着眼点の鋭さこそが彼女の名を今後も永遠に留めることは確かである。DNAによる遺伝子操作が現実のものとなった現代、我々は一体「フランケンシュタイン」に何を学ぶべきであろうか。