Interview with SS-YAMAOKA

AUTO-MODのジュネの実弟であり心理学者のSS-YAMAOKA(山岡重行)が、2025年11月に『破壊へ -A Tribute to AUTO-MOD-』をデジタルリリース!
今回音源制作を担当したkrishnablueのメンバーも同席で本作品とAUTO-MODについて語る。
■ 2025.11.08
■ インタビュー&撮影:kihito
■ 制作の経緯
──今回このアルバムを作ろうと思ったのはどういった経緯だったのですか?
SS -YAMAOKA AUTO-MODでやってない曲をいろいろやりたいっていうのは6〜7年前から考えてた。TAKちゃん(現AUTO-MODギター)なんかにも「AUTO-MODのコピーバンドやろうぜ」みたいな事を言って…その頃はドラム無し、リズムボックスで周りのDJに作って貰って、そこにギターとベースを入れてみたいな感じで考えてたんだけど、コロナ禍になって…さらにAUTO-MOD clas-six(*1)が出来てアルバム『EESTANIA』辺りとか「悲しきモッド人形」とか今までやってなかった事をどんどんやるようになっちゃったり、AUTO-MODのメンバーチェンジによってTAKちゃんがメンバーに昇格しちゃったので、だったら元AUTO-MODが3人居るkrishnablueとやれば良いんじゃないかと気が付いてしまったんですよ。
──具体的に話が動き出したのはいつぐらいから?
SS -YAMAOKA 去年の年末にYukino君にまず話をして、新年会でEBYちゃんに話をして、具体的には4月くらいからですね。
──ジュネにはどのタイミングで話したのですか?
SS -YAMAOKA 俺からは一言も言ってない。Yukino君がばらした。
Yukino ばらしたんじゃない!許可を得ないと何も出来ないので確認を取ったの(笑)
──krishnablueの御三方が元AUTO-MODですが山岡先生もAUTO-MODメンバーだったんですよね?
SS-YAMAOKA はい。その昔。
──当時のEPにクレジットされてたり、あの十三夜(*2)の時も旗を振ってますしね。
SS-YAMAOKA 俺が最初にステージに立ったのが渋谷屋根裏の昼の部だったんだ。前の晩にジュネから電話が掛かってきて、「風邪ひいて声が出ない。AUTO-MODの曲を全部知ってて声が似てる奴が居るんだよ。一緒に歌ってくれ。」というのが最初にステージに立った経緯なんですよ。その後、メンバーが全員いなくなって、もうベースもドラムも要らねぇみたいな…ユニットでやろうみたいな感じだったんですよ。オートベース、オートドラムでギターを入れて、もうそれでやろうぜって話で何回かライブをやってた。そのユニットでリズムボックスとオートベースのオペレーションをやれという話になって、それを1年位やったんだよね。その後、布袋たちが入ってコーラスやパフォーマンスをやってた。その流れで十三夜での旗振りになるかな。
──ちなみにその頃ももうメイクされてステージに上がってたんですか?
SS-YAMAOKA 多少メイクはしてた。あの頃はまだ美少年時代だったから…ジュネも美少年って呼ばれてたんです。
(*1) AUTO-MOD clas-sixは80年代のAUTO-MODメンバー(ジュネ・渡邉貢・友森昭一)によるバンド。
(*2) 1985年11月3日に後楽園ホールで行われた「時の葬列・終末の予感〈最終夜〉」。
