■ ゴシックと怪奇幻想
そもそもゴシックと怪奇幻想は深い係わり合いを持っている。何故中世の建築様式であったゴシックという言葉が怪奇幻想と交わりを持ち、やがては暗い嗜好性を持つロックのジャンルを指し示すことになったのかを知るには、ゴシックというキーワードを巡る歴史を知る必要性があるだろう。
建築様式としてのゴシックは、12世紀半ばから15世紀頃にかけて北フランスを発端にイギリスやドイツで発展した文化であり、フランスのサン・ドニ大聖堂、ノートルダム大聖堂、イタリアのシエナ大聖堂等に今もその姿を見ることができる。これらの大聖堂は、当時の建築技術の発達により、鋭い尖塔や怪物を模した雨樋、整合的で荘厳な柱廊、そしてステンド・グラスによる大胆な採光を特徴とする。キリスト教と密接に結びついた建築と言う名のこの芸術は審美的な感動を呼び起こすと共に、司教や国王の権威を高め荘厳な空間を生み出すことに成功した。
そして時は流れ17世紀半ばから18世紀にかけ、イギリスでゴシック・リバイバルとして再びゴシック建築は人気が高まる。鬱蒼とした樹木に囲まれたゴシック的庭園や廃墟散策趣味、観念的なゴシック的絵画が好まれ、この時期にゴシックというキーワードは闇の文化の象徴としての側面を持ち始めたと言うことができるだろう。このゴシック・リバイバルは、文学の世界にも影響を与え、ゴシック小説の嚆矢とされるホレス・ウォルポールの『オトラント城奇譚』やマシュー・グレゴリー・ルイスの『マンク』がこの時期に執筆された。これらゴシック小説と呼ばれる作品群は、この時点では純然たる怪奇小説とは呼べないものの、暗く陰鬱なゴシック的建造物(寺院や修道院、城等)を中心として、超自然的な要素を散りばめ人間の精神的暗部をテーマに頽廃的な嗜好を強くもったジャンルを確立する。以降、ゴシック小説はロマン主義を経て怪奇幻想の色彩を強めていき、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』、そして狂気の天才小説家エドガー・アラン・ポオらによって、ここにゴシックは怪奇幻想としての方向性を決定付けられる。この背景には、中世のゴシック建築が老朽化し、荘厳であると共にどこか影のある陰鬱な建築物としての様相を呈していたということや、近代科学の発達に反発するかのようなロマン主義の台頭が挙げられようが、こうしてゴシックは怪奇幻想の色合いを持ち、闇の文化を象徴する言葉となったのである。
従って、ポスト・パンクを模索する音楽シーンの中から飛び出したポジティブ・パンク、初期ニューウェーブとして登場したバンド達の暗い音楽的嗜好、シアトリカルなステージ・パフォーマンス、奇抜なメイクといったその新しい潮流を指し示す言葉として「ゴシック」が使われたのは、至極当然のことであったと言えよう。また、それ故に彼らの音楽は、怪奇幻想との親和性が高いのである。そこに共通して存在するのは闇への憧憬であり、屈折したロマンティシズムである。