■ 表現主義に見る芸術とゴシックの融合
サイレント映画?モノクロというだけでも退屈なのに、音声のないサイレント映画なんてとてもじゃないけど見ていられない。と思った方、貴方は人生において大きな過ちを犯している。古臭い映画と思うなかれ、ドイツ表現主義は凄いのである。まだハリウッドがその産声をあげる前、映画という名の「芸術」はドイツで花開いていた。ドイツ表現主義は、フリッツ・ラング、フリードリッヒ・W・ムルナウらの歴史に名を残す偉大なる監督を数多く生み出し、現代の視点でもなお色褪せぬ鋭い感性を持った作品がこの時期に多く制作されている。その芸術性の高い映像は、昨今流行のCGや特殊メイクなどの先端技術に頼らずとも、素晴らしい作品は先鋭的な感覚によって生み出されるのであるということをあらためて実感させる、時代を超越した傑作ばかりなのである。
このドイツ表現主義とは、物や空間の形態をあるがままの姿ではなく、芸術家の目を通して主観や個性のままにデフォルメし変質させて描くことで、その物質の内面や芸術家の感情を伝えようとする20世紀芸術の一つの潮流である。それが何故怪奇幻想の詩情に溢れ、ゴシック的となったかと言えば、当時のドイツの歴史的背景がその原因として挙げられる。当時のドイツは第一次世界大戦敗北からヴェルサイユ条約での多額の賠償金による重圧、そして忍び寄るナチスの台頭といった社会的背景を受け、非常に暗い時代であった。その重苦しい社会的背景が、鋭敏な感覚を持った芸術家達の精神面にも影響を及ぼしたのであろうか、ドイツ表現主義の映画作品達はいずれも奇怪で陰鬱な空気を強く内在させている。
ドイツ表現主義の代表的作品である『カリガリ博士』(1920)の暗く頽廃的な雰囲気、平行感覚を狂わせる程に歪んだセット、現実と虚構が入り混じる物語、明暗のコントラストの激しい映像全体から発せられる強烈な不安感は凄まじい。眠り男チェザーレの前衛演劇を思わせる奇怪なメイクは、後のポジティブ・パンクやゴシック、そしてビジュアル系のバンドの多くに強い影響を与えている。その強烈なアート性、当時の社会的重圧を封じ込めたかのような作風、全てが素晴らしく幻想的で悪夢的である。
そして、『カリガリ博士』と並んでドイツ表現主義を代表する、フリードリッヒ・W・ムルナウが監督した『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)。後年に鬼才ヴェルナー・ヘルツォークがクラウス・キンスキーとイザベル・アジャーニを主演に『ノスフェラトゥ』(1979)としてリメイクしたことでも知られる本作であるが、このオリジナルを見ずしてゴシック・ホラーを語るなかれ!ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』の世界で最初の映画化作品である『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、現代の視点でもなお衝撃的なインパクトを放っている。禿げ上がった頭、鼠のような顔、長く伸びた爪。吸血鬼というよりは、不吉で悪魔的な印象を強く与えるオルロック伯爵(版権を取得していなかったため、名称等は変更されているが、ドラキュラである)の余りに人間離れした外見、硬直した死体のようなぎこちない挙動、これぞ芸術的怪奇幻想の極地である!