■ 怪奇映画とゴシックロックの親和性
しかし、ここで正直に打ち明けよう。怪奇映画に詳しいかのごとく偉そうな御託を並べているこの私であるが、実は初めて『吸血鬼ノスフェラトゥ』を見た高校生の時分、恥ずかしながら途中で寝てしまった経験がある。やはりサイレント映画、モノクロ映画というのはそれなりに「慣れ」が必要なのである。が、それが敷居となってしまうのでは余りにこの作品は勿体無い。そこで、『吸血鬼ノスフェラトゥ』をはじめて、いや、既に見たことがある人にも強くお勧めしたい作品がある。ゴシックに強いレーベルとして知られるクレオパトラ・レーベルから発売されている『Nosferatu: The Gothic Industrial Mix』という輸入盤DVDである。
この作品、『吸血鬼ノスフェラトゥ』の映像にアメリカが産み落とした最大のゴシック・バンドであるChristian Deathのロズ・ウィリアムらがサウンドをつけているのであるが、ゴシック・ロックとドイツ表現主義の絶妙なまでの相性といったらなく、この作品の印象そのものさえも一変させてしまうほどの相乗効果を生み出している。『吸血鬼ノスフェラトゥ』には、過去にフランスのダーク・プログレッシブ・バンドであるArt Zoydが映像と完全に一致させたサントラのごときアルバムや、アメリカのゴシック・メタル・バンドであるType O Negativeがサントラをつけたもの等、様々なものが存在するが、この『Nosferatu: The Gothic Industrial Mix』こそゴシック的なる作品としては極めつけといった感がある。ブラム・ストーカーの生み出した物語、フリードリッヒ・W・ムルナウが描いた悪夢のような映像、ロズ・ウィリアムスの陰鬱な旋律、それぞれの要素がまさに時代を超え、各々の芸術の枠を超え、「ゴシック」というキーワードの下見事なまでに一つの作品として結晶している。その素晴らしいまでの整合性は古いフィルム故のノイズや傷の質感、撮影技術の制約による揺らめく光、そして想像力を刺激するコントラストの強いモノクロの映像、全てが全てゴシック的なる雰囲気のために巧みに計算された演出なのではないかと錯覚を覚えるほどである。
ドイツ表現主義に流れる、頽廃的で濃厚な怪奇幻想趣味は、ゴシック文学に見られたロマン主義の正当なる継承者である。後年のゴシック・ホラーでは決して生み出すことのできぬ時代の空気を封じ込め、不安や恐怖、光と闇を映像という名の芸術に描き出した。そしてまた、同じく闇の文化の末裔であるゴシック・ロックは、その音楽性の相違は時代や流行によって多少はあれど、人間の精神的暗部や闇への憧憬を歌い、屈折したロマンティシズムを旋律に乗せたのである。表現手段は違えども、同じ闇を嗜好する文化として怪奇映画とゴシック・ロック、その根底は一つに求められる、そうは言えないだろうか。そこにあるのは頽廃的な美意識に彩られたロマン主義そのものであるように、私には思われてならないのである。
さて以上簡単ではあるが、ゴシック的なるイメージを映画の世界に追い求め、その歴史を遡ってみたが、如何であっただろうか。当コラムで取り上げた映画やバンドは、いずれもゴシックを語る上では避けては通れぬ「王道」ばかりである。これらを見ずして、聞かずしてゴシックが好きだと言う事は許されない。扉はまだ開かれたばかりであり、ここから先には深遠なる闇の世界が貴方を待ち受けている。ゴシックは決して単なるファッションや一過性のムーブメントではない。光がある限り闇は存在し続け、そこには悪夢のような陶酔へと誘う甘美な旋律と幻想が横たわっているのである。このコラムが貴方の扉を開く、その一助とならんことを!