■ 魔人ドラキュラ
ドラキュラ役を熱望していたルゴシは舞台で演じていた時同様、襟の立ったマントに燕尾服という出で立ち、そして強烈なハンガリー訛りでこの上ない程に魅力的なドラキュラを演じ、現代に至るまでのドラキュラの普遍的イメージを確立すると共に、彼自身の役者生命までをもドラキュラという名の血の契約の下に縛りつけた。実のところ彼の強烈なハンガリー訛りは完全な演技というわけではなく、実生活でも晩年まで抜けることがなかったのではあるがことドラキュラを演じる上では、この訛りがいかにも不気味で奇怪なことこの上なく、ルゴシの得意とする眼力による演技と相俟って雰囲気を盛り立てることに成功した。彼が演じたドラキュラは怪奇的な雰囲気を濃厚に漂わせながらも紳士的で優雅であり、時に見せる荒々しさや邪悪さが強い説得力と魅力を持ってドラキュラというキャラクターを際立たせた。現在我々が想像するドラキュラのイメージは全てこのルゴシに起因すると言っても過言ではなかろう。
そしてコッポラの『ドラキュラ』をも軽く凌駕するドラキュラ城の素晴らしいセット。怪奇幻想、並びにゴスを嗜好する者でこのドラキュラ城で感激に打ち震えぬ者はいない。朽ち果てた教会を思わせる荘厳な雰囲気の中、そこかしこを鼠達が這いずり回り、蜘蛛の巣は人の背丈を超えんばかりに張り巡らされている。そしてこの頽廃的で幻想的な大ホールの階段を、蝋燭を手にしたルゴシ演ずるドラキュラがゆっくりと降りて来る・・・。もう、何度見てもゾクゾクする最高の瞬間である。まさに『魔人ドラキュラ』の魅力はこの怒涛の古城のセットとベラ・ルゴシの組み合わせが全てである、とさえ言えよう。と言うのも、残念なことにこの『魔人ドラキュラ』はこれらの素晴らしい数々の要素がある一方で非常にテンポの悪いカルト性の高い映画なのである。監督であるトッド・ブラウニングがやる気を失っていたとも言われているが、特に物語中盤以降は冗長とも言える演出、まるで舞台演劇を見ているかのような固定されたカメラ等により、前半の良質な要素を覆い尽くして余りある程に退屈な印象を受けてしまう。
それでもなお『魔人ドラキュラ』は怪奇趣味を満足させるに十分なだけの魅力を放ち、ベラ・ルゴシは一躍怪奇俳優としての地位を確立した。彼のもとには日々女性から沢山のファンレターが届き、ルゴシは人生で最も輝かしい時を迎える。しかし、ルゴシは続いてユニヴァーサルが製作した『フランケンシュタイン』(1931)の怪物役を台詞がなく素顔が出ないことを嫌い断ってしまい、その代わりとして怪物を演じたボリス・カーロフに怪奇俳優としての地位を奪われてしまうことになるのである。この大いなる過ちにより、以降ルゴシはギャラの安いB級の怪奇映画ばかりに出演せざるを得なくなり、吸血鬼やマッドサイエンティストのような紋切り型の役しか回してもらえなくなってしまう。