Martin (1977)
Director:ジョージ・A・ロメロ
Cast:ジョン・アンプラス / リンカーン・マーゼル / クリスティーン・フォレスト / トム・サヴィーニ
Production Company:リブラ・フィルムズ
ジョージ・A・ロメロと言えばゾンビ。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)、『ゾンビ』(1978)、『死霊のえじき』(1985)のいわゆるゾンビ三部作により、ブードゥー教の呪術によって甦り使役される死体にカニバリズムと伝染性という現在のイメージを定着させたのがこそロメロであり、もはやゾンビと言えばロメロといった感すらある。本作は意外に思われるかもしれないが、そんなロメロが描いた異色の吸血鬼ものである。
『マーティン』(1977)は物悲しい。太陽によって灰と化すこともなく、十字架やニンニクといったキリスト教的な制約もないという、既成の吸血鬼の概念を根底から覆すマーティンは、血を必要とし老いることがないという点を除けば普通の青年である。身を寄せる従兄弟から「不死者」と罵られ続け、ラジオの人生相談に電話で悩みを打ち明けるその孤独な姿は正に等身大の悩めるティーンエイジャーそのもの。麻酔を注射し眠らせた女性の手首をカミソリで切り裂き、血を浴びる彼は、実は吸血鬼ではなく従兄弟や家族達から不当な扱いを受け続けてきただけの心を病んだ青年なのではないかとすら思わせる。
そんな彼の孤独な日常が淡々と描かれる中、ある日彼が心を通わせていた主婦が手首を切り裂いて自殺する。マーティンの従兄弟であるクーガ老人はこの自殺がマーティンの仕業と思い込み、寝ているマーティンにいきなり杭を打ちこんでしまう。しかしマーティンは灰となるわけでもなく、まるで普通の人間と同様に息を引き取る。その悲しい最期すらも淡々と描かれ続け、あまりに唐突であっけないその幕引きはマーティンの孤独を際立たせ、やるせない気分にさせる。彼の孤独は電話相談の相手は勿論、従兄弟や家族にすら誰にも理解されることもなく、唯独りで死んで行くまで続くのである。
近年の吸血鬼はその孤独をロマンティックに描くことが主流であるが、『マーティン』は『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994)などよりも数倍も吸血鬼の孤独をうまく描いた異色吸血鬼映画の傑作である。ロメロがゾンビだけのキワモノ監督と思っている方にこそ、本作を観て頂きたい。その力量と表現の幅の深さを実感するはずである。
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