Ed Wood (1994)
Director:ティム・バートン
Cast:ジョニー・デップ / マーティン・ランドー / サラ・ジェシカ・パーカー / パトリシア・アークェット
Production Company:タッチストーン
マニア受けする主題をメジャーの舞台で料理させたら天下一品の鬼才、ティム・バートンが「史上最低の映画監督」エド・ウッドを主題に怪奇映画に対する思い入れたっぷりに描いた作品。本来ならば、私はこの手の映画が嫌いである。実在した人物の映画化作品というのは、映画の描き方次第でその人物の評価を歪めてしまう危険性がある。映画は視覚的に強い影響力を持つものであり、架空の物語を伝記と取り違える人は余りに多い。ジェームズ・ホエールを露悪的に描いた『ゴッド・アンド・モンスター』(1998)しかり、エド・ウッドに「不当に高い再評価」を与えてしまった本作しかり、である。
本作はその出来が素晴らしいが故に、一部のマニア間でのみカルト的な評価を得ていたエド・ウッドに対して世間一般の間で誤った再評価を与えてしまったように思う。本作の美化されたエド・ウッド像で初めて彼を知った大半の人々は、実際の彼の作品を目にすればその余りの酷さに絶句することだろう。さらに言うなら、ジョニー・デップ目当てで本作を見た方々は決してベラ・ルゴシの悲しみの本質を知ることはないだろう。
しかし、この映画のコンセプトに否定的である一方で、ベラ・ルゴシが最も敬愛する俳優である私にとっては、終始涙が止まらない作品でもある。美化されたエド・ウッドの映画に対する情熱や苦悩なんて、どうでもいい。私の関心はリック・ベイカーの手によって本人と見紛うばかりにメイクされたマーティン・ランドー演ずるベラ・ルゴシの一挙手一投足にある。年老いた中にも、時折見せる眼光の鋭さに往年の姿を覗かせる眼力、催眠術をかける際の大時代的なしなやかな手の動き。まさにルゴシが銀幕に戻ったと錯覚させるその演技は素晴らしいの一言に尽きる。
そして、そのルゴシを中心に展開される脚本がまた涙を誘う。『グレンとグレンダ』(1953)での役回りをジキルとハイドものと勘違いし喜ぶくだり。『怪物の花嫁』(1955)の夜の撮影で水溜りの中でタコの人形と格闘する際に「私は断った」と、『フランケンシュタイン』(1931)を断り、ボリス・カーロフに怪奇俳優としての地位を奪われ、その後二度と断ることができなくなった彼の人生を振り返るくだり。そして、ユニヴァーサルの看板俳優であったルゴシが老体に鞭打ち、タコの人形相手に悲鳴を挙げなくてはならない悲劇と屈辱。真のドラキュラ俳優であるにも関わらず病院の受付で「あなた吸血鬼?」と問われるくだり。脚光から遠ざかってしまったルゴシが、モルヒネ中毒を取材しにきた報道陣を喜ぶくだり。『プラン9・フロム・アウター・スペース』(1959)でも使われるルゴシのラスト・ショット。そして、現実同様、ルゴシ本人の意思でドラキュラの衣装で埋葬されるくだり。
もう、涙が止まらない。この映画を見ると私は人目を憚らずにぼろぼろと泣いてしまう。ルゴシがタコと格闘するシーンでは笑う人もいるだろう。ルゴシの没落振りを「惨め」と同情する人もいるだろう。しかし、私はそんなレベルを遥かに超えてベラ・ルゴシを愛している。街中で『怪物の花嫁』のヴォーノフ博士の台詞を熱演し、人々にサインを求められるルゴシ。現実にはそんなことはなかったかもしれない。それでも、そうあって欲しいと願うファンとしての想いが描かれているからこそ、この映画は素晴らしい。『エド・ウッド』(1994)はティム・バートンのウッドに対するラブレターなのだ、と解釈する人もいる。しかし、私はこの映画は間違いなくティム・バートンのベラ・ルゴシに対するラブレターなのだと思うのである。
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