■ 青春小説としてのラヴクラフト
しかし、ラヴクラフトは20世紀最大の怪奇小説作家として知られる一方で、かなりの悪文家としても名高い作家である。過剰な装飾語を多用し、好んで古色蒼然とした文体を用いたそのスタイルは非常にくどくどしく、あたかも彼が三流のゲテモノ怪物作家であるかのような印象すら与えかねない。実際ラヴクラフトに対するそのような批判は数多く見られるし、世間一般の良識ある方々の彼に対する印象はそういった程度のものであろう。にも関わらず彼が怪奇幻想を好む多くの人間に影響を与え、狂気の天才作家エドガー・アラン・ポオにも匹敵せんばかりの人気を勝ち得ているのは何故か?
それは彼の小説が「青春小説」であるからに他ならない。
何を突拍子のないことを、と思われるかもしれないが、『ネクロノミコン』やクトゥルフ神話といったそのプロットの奇抜さもさることながら、ラヴクラフトが人々を惹き付けて止まぬのは、ラヴクラフトの小説には一環して彼の人間としての恐怖が横たわるからである。それは彼の作品に現れる邪悪な神々の降臨や黒魔術による死者の蘇生、未知の生物の侵略といった表面的な恐怖の主題ではなく、ラヴクラフトという一作家個人が人間として生きていく上での社会に対する恐怖や、悩み、苛立ち、孤独を意味する。人間であれば誰しもがその思春期に体験するであろう自己の存在基盤に対する脆弱さに対する恐怖。何故自分は産まれてきたのだろうといった疑問。憎んでいる両親に自ずと似てよっていかざるを得ない家系という名の血の恐怖。周囲の明るい友人達とは自分が異なる価値観を持つことの違和感。アウトサイダーとしての孤独。女性に対する少年達の恐れと憧れ。そういった人間としての思春期の恐怖がラヴクラフトの小説には横たわっているからこそ、彼の小説は大いなる支持を得ているように思われてならない。勿論、そういったラヴクラフトの個人的な恐怖感といったものは作品の前面には現れていないし、主題は黒魔術や外宇宙からの旧支配者達による混沌の恐怖にある。しかし、人生で最も多感な時期に感じる不定形の不安、漠然とした恐怖と非常に似た波長がそこにはある。