Pet Sematary (1989)
Director:メアリー・ランバート
Cast:デイル・ミッドキフ / フレッド・グウィン / デニーズ・クロスビー / ミコ・ヒューズ
Production Company:パラマウント
スティーブン・キングの『ペット・セマタリー』をキング自身が脚本を担当した映画化作品。子供が作ったペット霊園であるため、綴りを間違って「セマタリー(sematary)」と作中ではなっていることを受けて、原作も映画の原題もあえて「sematary」表記となっているにもかかわらず、邦題を「セメタリー」としたセンスのなさには閉口させられる。
若き医者のルイスは田舎に新居を購入し、家族と共に引っ越してくる。家の前は大型トラックが頻繁に行き交う通りではあったが、新しい生活は幸せに満ち、順風満帆であるように思われた。そんなある日、飼っていた猫が交通事故で亡くなってしまい、ルイスは隣人ジャドの勧めるままにミクマク族の墓地へと猫を埋葬する。すると、驚くべきことに猫は生き返るものの、狂暴な性格へと変り果ててしまった。やがて日は過ぎ、3歳の息子ゲイジが交通事故で命を落としてしまう。愛する息子を失った悲しみにくれるルイスは。。。
本作『ペット・セメタリー』(1989)は言ってしまえば、W・W・ジェイコブズの「猿の手」の亜種であり、物語は早々にオチまで想像がつく。しかし分かっていてもなお本作が素晴らしいのは、3歳であるゲイジを演ずるミコ・ヒューズの甦った後の無邪気な邪悪さと恐ろしい表情の存在感である。メスを手に表情を歪めて迫ってくるその様は、『チャイルド・プレイ』(1988)のチャッキーすらをも超える恐ろしさと切なさを纏っている。
彼の「ずるい、すごくずるい」という最期の台詞と表情など、わずか3歳とは思えぬ演技。大人の都合で勝手に命を与えておきながら、望むものと違うと分かれば殺すという、一方的で自分勝手な愛情。子供のいない私からすれば想像の域を超えるものではあるが、愛する者を失った悲しみと狂気とはそういうものであるのかもしれない。。。と、余韻に浸ることを許さずに突如スタッフロールと共に流れるRamonesのエンディング曲。キングの希望で流れる余りに場違いなこの曲はゴールデンラズベリー主題歌賞を獲得し、強烈なインパクトと共に作品を一気に台無しにした。本作はスタッフロール前に再生を停止さえすれば、考えさせられる余韻を持った作品である。惜しい、実に惜しい。
なお余談ながら、隣人のジャッドを演ずるフレッド・グウィンは、アメリカCBSのTVシリーズ『マンスターズ』でフランケンシュタインの怪物のような「ハーマン・マンスター」を演じていた役者である。
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