Nosferatu (1979)
Director:ヴェルナー・ヘルツォーク
Cast:クラウス・キンスキー / イザベル・アジャーニ / ブルーノ・ガンツ / ローランド・トパー
Production Company:ヴェルナー・ヘルツォーク・フィルムプロダクション
映画史にその名を残すドイツ表現主義の傑作『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)を、ニュー・ジャーマン・シネマの鬼才ヴェルナー・ヘルツォークがリメイク。マックス・シュレックが演じた、頭が禿げ上がり鼠のような外見をしたオルロック伯爵の奇怪なメイクは、怪優クラウス・キンスキーによって完全に再現されており、オリジナルに十分な敬意をはらった意欲的な作品である。
本作はドイツ表現主義とニュー・ジャーマン・シネマという、ドイツが産み出した二大潮流を繋ぐ役割を果たしオリジナルに忠実でありながらも、ヘルツォーク独自の解釈や観念を施した内容となっている点が興味深い。ドイツ表現主義がコントラストの強いモノクロ映像で描いた映像は審美的な色彩に覆われた映像として甦り、その一方で役者達の前衛舞踏を思わせるメイクは踏襲され、大きな目と白い肌を強調したイザベル・アジャーニのメイクはまるで歌舞伎のそれのようですらある。
しかし、この『ノスフェラトゥ』(1979)は不吉で美しい映像に覆われているにも関わらず、ユニヴァーサルやハマーといった怪奇映画と比べるとあまりに文芸的で冗長に過ぎいまいち面白くない。その芸術的で様式的な映像は完成され過ぎているが故に、まるでこじゃれたヨーロッパ映画のようであり、怪奇映画が持つある種の「いかがわしさ」「御伽噺」的な印象を持たないのである。さらに、マックス・シュレックの演じたノスフェラトゥがまさに「死の体現」であったのに対して、キンスキーのそれは余りにエモーショナルで惨めな、哀れみを誘う存在であることも私としては面白くないところである。キンスキーのノスフェラトゥは外見は奇怪であれども、自らの悲劇を主張し、愛に飢えた存在であることを訴える。真の闇の住人以外でも容易にその悲哀を疑似体験することができるような、大衆に迎合した親切な脚本を私は嫌う。
そのため、私としては本作は意欲的でオリジナルに十分な敬意をはらっていることは高く評価するものの、やはりオリジナルである『吸血鬼ノスフェラトゥ』に軍配をあげたいと思う。
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